中秋の名月がきれいです。
月影の いたらぬ里は なけれども
眺むる人の 心にぞすむ
法然上人
本願の正機として自らを自覚した人、念仏の衆生を「眺める人」といわれます。
「月の光が届かない人里などないのですが、
月を眺める人の心にのみ月影がそこに棲んでおいでになる」
阿弥陀様のすべての人を漏らさず救うというお誓い(本願)は、月の光のように誰にもどんな里にも平等にふり注いでいます。
しかし眺めた人にしか月の光の存在が分からないように、
南無阿弥陀仏と念仏を称えた人だけが阿弥陀様の本願によって極楽浄土に生まれること(往生)ができるのです。