郷土の松井秀喜選手

私のウオーキングは、「浅野川沿いコース」の他にもいろいろあります。
昨日は、「卯辰トンネルコース」でした。
家の近くの三つ目トンネルから反対方向に商店街を6km進んだところにあります。



卯辰トンネル入口



トンネルの中



トンネル出口




トンネルを出るとすぐ向こう、フェンスを張ったところが、
松井秀喜選手の母校星稜高校の野球部グランドです。



初めて野球場近くまで行ってみました。



“ベスト4”進出73回大会記念碑です。



さらに、準優勝77回大会記念碑も!



日曜日で北信越大会があるので野球の練習は休みでした。



この辺りは、金沢レンコンの産地です。





つまり、きょうは松井秀喜選手のことを書きたかったわけです。


するとラッキーなことに私にかわって今朝の北国新聞“地鳴り”欄に、
こんな投稿が載っていました。
松井選手を応援する、ふるさとの人々の熱い想いを代弁するものでした。



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〜人々勇気づける松井選手のすがた〜


私は特別、野球フアンでも何でもありませんが、郷土の松井秀喜選手の姿には常日頃、感心させられ、学ぶものが多くあります。
大リーグという大きな世界の中で一人、頑張っている松井選手の姿には胸を打たれるものがあります。
長い低迷期間を乗り越え、大リーグで放ったホームラン。
そのニュースを目にした時、思わず感動で涙が出ました。
今までの松井選手の生きざまを見て、胸が震える思いでした。
この松井選手の姿がどれだけ多くの人々を勇気づけたことでしょう。
これからも松井選手を陰ながら応援させていただきます。
松井選手、
この感動、ありがとう!
              金沢市  細川 裕子  65歳
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数々のゴジラ伝説から


☆ 誰もが知っている怪物松井5打席連続敬遠
高校野球史に残る事件…いや、一つのドラマは、1992年8月16日の第3試合、2回戦・星稜×明徳義塾戦で演じられた。
優勝候補同士の対決、その中でも最も注目を集めていたのは松井の打撃。
スタンドに集まったプロスカウトたちの賞賛のコメントがスポーツ紙を賑わせたことで、その盛り上がりは一段と増していた。
(松井に打たさなければ勝つ可能性は高まる)そう考えた明徳義塾馬淵史郎監督は「全打席、歩かせる」という非情な作戦に出る。
この作戦は功を奏した。
明徳義塾は3-2で星稜に勝利し3回戦進出を決めたのだ。
だが、この「5打席連続敬遠」は大いに物議を醸した。
明徳の宿舎には抗議の電話が殺到、その数は500本に及んだという。
日本高校野球連盟は異例の記者会見を開き、牧野直隆会長のコメントが発表される。
「勝とうという意欲よりも、もっと大切なものがあるはずだ」と。
怒りの感情を持った野球ファンは多く、勝った明徳義塾はルールを犯したわけでもないのに悪者扱いされてしまう。
だが、打つ機会を奪われた当の松井が怒ったわけではない。


「相手チームのやり方なので、それについては何も言うことはありません」


そう話しただけで、不貞腐れた態度さえ見せなかった。
(松井よりむしろ山下監督の方が、
「作戦でしょうが私だったら勝負させます。男なら勝負です。」
と熱くなっていた様に思います)


実は、この試合をスタンドから一人の男が松井を見守っていた。
根上中学校野球部で松井を指導してきた高桑充裕氏である。
いまでも松井から、
「いままでの野球生活の中で一番厳しかったコーチ」
と言われる高桑氏は、あの時のことを思い出していたに違いない。
中学時代、松井は相手チームから明らかな四球を続けられたことがあった。
それだけ打撃の評価が高かったわけだが、悔しかった彼はマウンド上にいる相手チームの投手を睨みつけた。
バットを放り投げて相手を威嚇するような態度で一塁へ向かおうとしたのである。
その時だった。
高桑コーチはベンチを出て松井に歩み寄った。
バコーン!バコーン!
試合中にもかかわらず彼は松井を数発、殴りつけたのである。
慌てて周囲が止めに入ったが、高桑コーチは退場処分となった。


高桑コーチは試合後に松井に言った。
「敬遠というのは立派な作戦なんだ。ルール違反じゃない。
なのに、あの不貞腐れた、お前の態度は何だ。
どんな場面が訪れても毅然とした態度でプレイしろ」
試合中に殴られたことには驚いた松井だったが、そう言われて自らの行動を反省した。
そして素直に謝った。
これからは、どんな場面でも感情に左右されることなくプレイに専念しようと誓った。


だから「5打席連続敬遠」の時も松井は、その誓いを守ったのだ。
負けた悔しさはあったから、人目を避けて宿舎に戻るバスの中で泣いた。
しかし、四球攻めに合うシチュエーションは有り得ることなのだと既に理解していた。
「相手チームのやり方なので…」は、強がりではなく素直な言葉だった。


余談だが、明徳義塾の馬淵監督の長男は、当時3歳。
あれから十余年経った現在、その息子さんは父とともに大の松井秀喜ファンだそうである。


☆ 地元で有名な「松井瓦保険」
松井選手は1年の4月から4番を打っていたらしいとか、
当時を知る人から聞いた話しでは、
「打球音が違っていた。金属バットなのになんか音が鈍かった。」
「星稜のグランドのホームベースから170mほど離れた校長宅の屋根にボールを、よくブチ当てていた。当時から化け物だったよ。」
グランドライト後方の山下監督の自宅の屋根も、しょっちゅうホームランボールの餌食になったということを何度聞いたことか。
付近の住宅街では「松井瓦保険」なる保険まで登場したとか、とにかく高校時代から怪物ぶりは地元では有名でした。




同じく今日の新聞はサッカーW杯アジア最終予選での本田 圭佑選手(星稜高校OB)の先制左足ボレー、楽天の新人釜田投手(金沢高校OB)の2連続勝利のガッツポーズありの賑わいでした。


スポーツ音痴の私がスポーツ記事(?)を書こうとは・・・


これもシドニーオリンピックの熱狂を伝えてくれた郁ちゃんの影響です!