こころ

雪は天からの手紙

書店で突然立ち止まってしまい、気がついたら 「雪は天からの手紙」(中谷宇吉郎著 エッセイ集)を手にとっていました。 旅立ってから4年目の冬にはじめての大雪。 1年前から送り続けたわたしからの手紙(ブログ)に、 郁代が天から返事を届けてくれたので…

『武士の一分』

映画『武士の一分』が、テレビ放送されていました。 家事をしながら観ていたら、 日付がかわっていました。 木村拓哉、檀れい、笹野 高史、 緒形拳、桃井かおりなど実力派俳優がずらり。 三村新之丞は妻・加世と慎ましくも幸せに暮らしていた。 だがある日・…

ありがとう!

昨夜のTV、エチカの鏡は、「死ぬときに後悔すること25」(大津 秀一著) をとりあげた番組でした。 1、たばこを止めなかったこと 2、感情に振り回された一生を過ごしたこと 3、遺産をどうするか決めなかったこと 4、故郷に帰らなかったこと 5、仕事ばかりで…

ありがとうって いっとるよ

今は6年生のSちゃんが3歳だったころ、 コイにえさをやっていた時の父娘の会話が残っています。 父 「よく食べるコイやなあ」 Sちゃん 「コイさん おいしい おいしいって いっとるよ。 ありがとうって いっとるよ」 長男、Sちゃんのお父さんは、 「娘のや…

「感動」と「感謝」

武田双雲さんのきょうのブログ、 「満たされない時」をお借りします。 わたしに一番欠けているものだね!って思ったので。 「何かものたりない。」「満たされない。」僕も10代の頃は、 そんな気持ちでした。しかし、あることを実践してからは、 20代、3…

「もう いいんだよ」

郁代は、がんになった自分を許し、 最初の診断「胃潰瘍」も、 許せなかっただろうになんとか収めようとしました。 欠点だらけのこんな母を許し、 自分の思い通りには看護してもらえなかっただろうに、 「生んでくれてありがとう」 「お母さんのこどもでよか…

なぜ許せるのですか?

なぜそんなふうに人を許せるのですか? 田口ランディさんの講演会 で先日お聞きした、 「お兄さんの死と、認知症のお父さんが流した涙」。 あの時、本当に伝えたかった事が、今回のブログに書いてありました。 わたしが一番聞きたいと思っていたことでした。…

死者の視点で

田口ランディさんのブログを、いつも読ませていただいています。 昨年は、月刊誌「同朋」でも連載されていました。 書籍もたくさん出されています。 金沢東別院の夏季公開講座で、 昨日、ランディさんのお話をお聞きしました。 「兄の自殺」、「アルコール中…

空も、海もつながっている

「中・高生の頃、私は、 何か得体の知れない不安や淋しさや虚しさのようなものを感じたとき、 いつも夜空を見上げていた。 何時間でも、ぼーっと空を見上げていた。2階の私の部屋の窓から、 1階のリビングの屋根に降りることができた。 屋根の上にマットレ…

自分の声を一番聴いているのは

郁代の友人の大原さんから頂いたお便りに、 こんな箇所がありました。 郁代さんは、とても前向きでポジティブな人でしたので、 お母様の様子をかなり心配していることと思います。 他人の悪口など一切口にせず、 要望はあっても愚痴は聞いたことがありません…

飛騨高山

一昨日、近くのグループで飛騨高山日帰り旅行に行ってきました。 高山別院へお参りしました。 明治30年に飛騨の高山に生まれた念仏者、中村久子さんが忍ばれました。 「ある ある ある」 中村久子 ある ある ある さわやかな秋の朝 「タオル 取ってちょうだ…

あなたの子供ではない

玄関の萩の緑 郁代はわたしのものではない。 喪った哀しさを、ぎゅっと握りしめて離さなかったら 郁代はよろこぶだろうか、 ずっとそんな思いがしていたのも事実です。 「あなたにあえてよかった」を読んで下さった 浅田洋さんの「うずのしゅげ通信」に、引…

ヨブ記   

残りの時間が限られている哀しさの中にいて、 「家族のやさしさが分かった事が、病気の辛さよりありがたい事やったわ」と、 どうして言えるのでしょう。最期の晩、自分は全く食べれないのに、 「みんなで食事しよう!」 そんな辛いことがどうして言えたので…

でんでんむしのかなしみ 

カーテンをゆらし、今ふきぬけた風は、 「涙をぬぐい、顔を上げてね」 との郁代のささやきだったのでしょうか。 でんでんむしのかなしみ 新美 南吉 (にいみなんきち) 一ぴきの でんでんむしが ありました。 あるひ、そのでんでんむしは、たいへんなことに き…

正岡子規『仰臥漫録』

青木新門「納棺夫日記」(1993年発行)あとがき、 この原稿を書き終えた時、正岡子規の『病床六尺』にある 『悟りという事は、如何なる場合にも、平気で死ねることかと思って居たのは間違いで、悟りといふ事は如何なる場合でも、平気で生きて居ることで…

もの言わぬものへの思い

茂木健一郎さん 2009/03/24 のブログは、 30歳前半の自著『生きて死ぬ私』からの引用でした。 私の心は、もの言わぬものたちとともにある、と。 「見えないけれど大切なこと」、 もの言わぬミクちゃんを載せたすぐあとに出会った偶然に、 とても驚きました。…

さびしいときは心のかぜです

さびしいときは心のかぜです。 せきして、はなかんで やさしくして ねてたら 1日でなおる これは大ちゃんこと「原田大助」くんがつくった最初の詩です。ある日、私は病気で元気のない友達になんにもできないことを悩んでいました。すると「山もっちゃん、ど…

見えないけれど大切なこと

「見えないけれど大切なこと」を山元加津子さんはブログを通じていつも教えてくださいます。 養護学校の山元先生と大ちゃん、はじめは気持ちが通じ合えなかったふたりが、仲良くなり、大好きどうしになって、やがて心が通い合うようになっていきます。 いち…

おまかせ

五木寛之氏は講演でよく次のようなお話をされます。 偉大な方便 五木寛之の言葉 親鸞までは「帰命の念仏」なんですが、蓮如からは「報恩感謝の念仏」というふうに教えるようになったんです。 つまり、「なんまんだぶ」というのは何ですかとお百姓さんに聞か…

いつかおまえに会いたかった

星野道夫の魂をゆさぶる写真と言葉の数々。娘が旅立った後、私は毎日アラスカのクマたちに会っていました。 少しずつ元気が出てきました。 木も、岩も、風も、 あらゆるものがたましいをもって わたしたちを見つめている。 人間の持つ哀しみと悠久なる自然。…

人生を立ち塞がれそうになった時

岡部明美さんのブログに励まされることが多いです。 岡部さんは生死をさまよう壮絶な体験をしていらっしゃるので、 思いがびんびん伝わってくるのです。 昨日は、「大きな問題に人生を立ち塞がれそうになった時」でした。 私が最近、自分が一番変わったなあ…

二つのお部屋

みんながお腹を空かして集まりました。 「Aの部屋」には、ごはんに、長〜いお箸が添えられていました。 一人ひとり競って食べようとしますが、お箸が長すぎて誰一人ごはんを食べられません。 この部屋の人たちは、お腹が空いているのに目の前のご飯が食べら…

やさしさは伝染する

こころが凍える時、やさしさが氷をとかしてくれます。 冬でも、お日様のようなあたたかさに包まれます。名古屋市の救急隊の隊長だった方のお話が、新聞に載っていましたので紹介します。 重症でもないのに、すぐに救急車を呼ぶ困りものの男性がいた。 横柄な…

でんでんむしのかなしみ

「ごんぎつね」で有名な 新美 南吉 に こんなやさしいお話がありました。 でんでんむしのかなしみ 新美 南吉 (にいみなんきち) 一ぴきの でんでんむしが ありました。 あるひ、そのでんでんむしは、たいへんなことに きが つきました。「わたしは いままで、…

あなたは わらって

あなたはわらって (アメリカ インデイアンの諺) あなたが生まれたとき まわりの人は笑って あなたは泣いていたでしょう だからあなたが死ぬ時は あなたが笑って まわりの人が泣くような人生を送りなさい 2008年11月21日 朝日新聞「声」より みくちゃんが生…

誕生日

雪絵ちゃんの詩 より 誕生日 私今日生まれたの。 一分一秒のくるいもなく、今日誕生しました。 少しでもずれていたら、今頃 健康だったかもしれない。 今の人生をおくるには、一分一秒のくるいもなく生まれてこなければいけなかったの。 けっこうこれってむ…

だれもが愛し愛されるために生まれてきた

新刊「宇宙は、今日も私を愛してくれる」(山元加津子・著) が発売されました。 山元さんは郁代が大好きな方でしたから、さっそく買ってきて読みました。 宇宙は、今日も私を愛してくれる作者: 山元加津子出版社/メーカー: 三五館発売日: 2008/12/15メディ…

悼む人

悼む人作者: 天童荒太出版社/メーカー: 文藝春秋発売日: 2008/11/30メディア: 単行本購入: 9人 クリック: 104回この商品を含むブログ (171件) を見る 愛や死への思い問う鏡のような物語 〈ぼくは、亡くなった人を、ほかの人とは代えられない唯一の存在として…

最後だとわかっていたなら

郁代は自分が最後だとわかっていたから 「あなたを愛してる」と家族に、恋人に、友人に伝えようとしました。 この詩のように・・・。 「最後だとわかっていたなら」 作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦 あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だと…

メメント・モリ

「メメント・モリ」 藤原新也 死とは、死を賭して周りの者を導く、人生最期の授業。 極楽とは、 苦と苦の間に 一瞬垣間見えるもの。 死を想え。 人生最期の授業の師は郁代であり、私は生徒でした。 メメント・モリ